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2016

Hideshi Ide

SILENT SURF
1999-2016

2016年10月1日[土]- 11月30日[水]

note01

Headed to Dead End was both literal and contemplative. Departing from Oppama Station was a winding walk of about ten minutes on uneven foot paths and stable concrete pavement. And finally, I was greeted by a sign post of laser cut steel that bluntly displays “Dead End” and later did I find out that the exhibit space was the dead end of the trail.

Trading my Oxfords for room slippers, I entered the exhibit space where I was greeted with floating art pieces in rusting iron with lines on them. On closer inspection a thread runs across the entire room connecting each piece from my point of view. Dissecting each piece, I have come to find out that each piece was pierced in order to stitch the artist’s representation of ocean waves with white thread. It gives a sense of peace versus the turbulent disquiet of water rushing to shore. The lines are calm and when one can fall victim to an illusion can see the reflective properties of water depicted through a static line work.

The artist also shows his earlier work however not on focal view that dates back when he was studying art in London, 1999. On the floor reflects continuity of how he has wanted to show his art form - through thread, stitch, and color showing parts of or his whole self in various angles.

He has taken his work across the years to show like how sewing does for strands - connection and continuation which I think what he originally meant to convey, the passage of time and aging.

Jan Patrick S. Arrieta

note02

井手日出志ー陸・海・空

金谷幸未

はじめにおことわり☆

SILENT SURF 1999-2016と題して発表された本展は、1999年制作のものと2016年の最新作で構成されている。
1999年と2016年に横たわる行間や余白は観る側が個々に味わい、楽しむべきと承知しつつ、DEAD ENDという場所をつくり運営する者の責務として、拙文ながらも言葉による記録を残そうと思う。ただの感想やartist's wordのトレースになる恐れはあるが、それ以上の論はホンモノの評論家の出現を待ちたい。ひとまず負荷をかけてみる。それで何かがはじき出されることを優先しよう。

identity 1999

1999年は井手がロンドンの大学在学中で、ベッドシーツに刺繍する作品スタイルでの発表が始まった頃になる。酒鬼薔薇事件で衝撃に揺れ、たまっごちブームで湧く日本を離れて四、五年が経とうとしていた。
以前より井手の作品には“アイデンティティ”が基底調にあり、ポートレイト写真など自身を直接つかう作品もみられた。刺繍スタイルが始まってからはより積極的にビジュアルモチーフとして井手本人の図像が写真からおこされ登場するようになった。それらの多くは自虐的で挑発的、時にアイロニカルで猥褻な姿かたちをとり攻撃性を帯びるものの、刺繍という技法によりその露骨さは軽減される。輪郭線はカラフルな糸の本返し縫のみで淡々と縁取られ、時におどろおどろしく露悪趣味でもあるイメージは滑稽でユーモラスな軽さへと変換される。しかし攻撃性は澱のように残り、牧歌的で女性的な側面を持つ刺繍から微かな異臭が漂う。
近年最後に井手本人のビジュアルが作品に登場したのは2010年制作の作品で、ベッドシーツいっぱいに自身の裸体が縫い込まれている。本展出品作(1999年制作)を含む初期の刺繍に見受けられる【内­-自己】と【外-社会】の境界を担うような役割はさほど重要ではないように見える。ベッドシーツのぐるりは可憐なレースで縁取られ、裸体を中心に縫い付けられた飲んだ後の酒瓶の蓋はさながら花畑のようにも見える。かつて色々な表情を見せていたその頭部は煉瓦積みの建造物と化し、そこから生えるようにポーズする身体は力んで硬直しているように見える。
曼荼羅やタペストリーを想起させる装飾的な布作品だが、中身は通俗的な記号で埋め尽くされている。自身の姿も記号化され酒瓶の蓋などと同様の価値で扱われているようだ。見るものにキャッチーな像を提示しておいて作者本人はどこか遠くに在るような距離や断絶を感じる。事の発端は社会的な関係性の中で問うidentityだったかもしれないが拡大されたそれは個を超えたずっと先へと向かっている予感を与える。

井手日出志

山へ

2003〜2006年SARS(サーズ)のパンデミック、七十九年ぶりの鳥インフルエンザにおののきながらiPod nanoの小ささにド肝を抜かれていたころ、井手日出志は数多の名峰を登頂していた。
東京都板橋区成増(なります)の六畳一間で「刺繍糸単独ベッドシーツ登山」*1と称し「世界の名だたる山々を制覇し」ていた。本人曰く《縫い針というピッケルを手にし》、ルートに沿って等高線を一針ずつ縫い進んで行く。「ソリッドの孤独を磨くような景色」の中で時間と空間を自由に行き来する様子は[登頂日誌]と言うていで、ノートにみずみずしく記録*2されている。
例えばマッキンリー。およそ三十三日かけてベッドシーツに等高線を縫いあげて行く。三省堂で地図を探し、ベッドシーツに書き写すところから勘定すれば完成(登頂完遂)に約三ヶ月かかる。そうして「縫いあがってくるベッドシーツは六畳間をはみでることなく同時に限りなく広がって」いき、「内と外の境目があいまいになり混ざり合って時間と空間を軽々と飛び越え」て行くのだった。
その頃から"景色"というワードを手にし、《その人の見ている景色はその人にしか見えない》というフレーズをよく口にしていた。一般的なものの見え方を含む個の世界観の捉え方に加え、viewそのものの広がりと存在の強さを見知った上での発言だったのではないか。後年"景色"を扱った作品の文章版で、ベッドシーツ登山の制作時を振り返り、こう記している。「身体と時間への負担で1と100が同じになるというよりは100が1と同じになり結果として目の前の日常の現実が爆発的に澄み渡る。その圧倒的にひろがる景色はただもう眺めることしかできない。」

*1「」は井手日出志著『反復景色』より引用
《》は会話中の言葉
*2 日誌『MOUNT McKINLEY』は2015年「10YEARS and 300KIROMETERS」で初公開

反復景色

井手作品の主なモチーフであった本人像が完全に姿を消したのが、2013年個展「反復景色」(Gallery HAM)の作品群である。ベッドシーツや柄布などの支持体から合板へ、カラフルな刺繍糸は単色の紐へ、縫い針は電動ドリルになった。合板に穴を開けて紐を通しビジュアルをかたち作る。刺繍するみたいに。そこに現れたのは頻出していた自身の姿かたちが完全に消えた新しい“景色”。
かつて「ベッドシーツ登山」で見た風景はその後も広がり続けていた。「ただもう眺めることしかできない」ひろがりに圧倒されながらも、なんとかグリップすべく制作が続く中、一冊の本と出会う。いつものように近所の図書館でたまたま借りた数冊の中の『小説の誕生』保坂和志著は井手の新展開を導くこととなった。横須賀市立北図書館の目立たない書架にあるそのハードカバーがあちこち痛んでおり、しおりの紐が短く使い辛いのは井手日出志の度重なる貸出のせいだとみる。

5月10日(木)雨
それで小説家にとって「素振り五百回」というのはどうゆうことなのか。私にとってのそれは「小説について考える」ことだ。文章表現の次元でいくら努力しても意味はない。小説というのは文章の出来を競うものではなくて、文章によって何が書けるか?つまり言葉によってどういう風にして世界と触れ合うことができるか?を試行錯誤するものだからだ。

井手の何でもノート(?)に書いてあるメモは間違いなく保坂和志の文章で現在引用箇所を探しているが*3、全編というか他著でも同様の内容が点在するため確定に少々時間を要する。ともかく井手は保坂の言葉を機にモチーフのためのドローイングをやめ、純粋なドローイングを始めた。見たものをそのまま手元の紙に落とし込むという運動を一種のトレーニングとして試行した。そして布作品用にストックされていた大量の刺繍糸は全てゴミ箱行きになった。
最初は画材屋によくある手頃な大きさ(212×242mm_マルマンSS2)のクロッキーブックで鉛筆やペンなど試しながら手当たり次第目の前の風景をスケッチした。散歩中はもとより、バイトの横須賀米軍基地は日本の中の外国であり絵の題材に事欠かないスポットだった。日本の美大芸大を経験していない井手にとって“対象を見て紙に書き写す”行為は新鮮だった様で、二、三冊を描きつぶすのに時間はかからなかった。しかし枚数を重ねるほど“見る”ことそのものにフォーカスされていき、描くスピードが落ち着いていく。つまりそれまではクロッキー帳もクリーム色の紙だったり、画材を変えることで線を多様化してみたりと、描かれた後の絵画的要素が念頭に置かれていたはずなのである。絵を描くための取材としてのドローイングであればその手続きは何ら問題ないのかもしれないが、井手の言う「日常の現実が爆発的に澄みわたる」とき、目の前の景色を絵画的に処理するだけでは「その圧倒的にひろがる景色」を捉えきれないだろう。【見て】⇄【描く】を繰り返していく中で、クロッキー帳のサイズはどんどん小さくなり、最終的に手の平サイズのメモ帳になった。そして「何が描かれるかではなく対象に身体が反応し、その反応が形として蓄積されること。」にピントを合わせ「スピードは重要。」という結論に至る。
そうして蓄積された風景は「反復景色」と称され【何が描かれるか】を問題としない、またはさせないよう、手の平サイズのドローイングは半畳ほどの大きさにリサイズされ、合板に書き写される。その線に沿っていくつか穴を開け、穴と穴を繋ぐように紐を通し元の図を再生する作品となった。
今回見せた「SURF」シリーズは2013年発表作に使用されたイメージの一部と重なる。支持体が合板から鉄板になり同じように穴を開けて図像をかたどっている。2013年、2014年と個展を重ねるごとに図像の要素は大胆に削ぎ落とされ抽象化が加速する中、さらに本展ではほぼ横線のみで構成され、水平性が強調される画面となった。「ただ眺めることしかできなかった景色」に果敢に挑み続けた結果“見ること”をキーに成増の登山で見た“時間と空間”という景色に深く切り込んでいく。【見ることとは何か】、【描くこととは何か】という考察は海を目の前に繰返されていく。少し長くなるが作者の言葉を引用する。

「波を描く。いや描こうとする、と描くということが分からなくなってくる。白い波が現れてその波がじょじょに大きくなりながら迫ってきて引き波とぶつかりせめぎ合いその余韻が砂浜にひろがり引いていき白い波とぶつかりせめぎ合い余韻が砂浜にひろがり白い波が迫って引いてきた波の余韻とぶつかりせめぎ合い余韻がひろがり白い波が現れてその波がじょじょに大きくなりながら迫ってきて引き波とぶつかりせめぎ合いその余韻が砂浜にひろがり引いていき白い波とぶつかりせめぎ合い余韻が砂浜にひろがり白い波が迫って引いてきた波の余韻とぶつかりせめぎ合い余韻がひろがりひいていく波のなにを描けば波を描いたことになるのか。」

*3保坂和志著「小説の自由」、「小説の誕生」、「小説、世界の奏でる音楽」のいずれか

逃走本能

2013年個展「反復景色」のあと書かれた文章版『反復景色』*4は井手の私小説ともとれ、これまでの逃走の記録でもある。文中では書いているただいまの時間は春から始まり、季節がめぐり冬で終わっている。その中で述懐する内容の時系列はバラバラになっているが、ここでは年代順に追っていく。
井手少年は実家を「もうずっと小学生の頃から出たいと思い続けて」おり、「少しでも遠くへ」という思いから「逃避の代償行為」だったサイクリングで「まずは眺め続けてきた目の前にある鈴鹿峠(三重県北部)を超えることからはじまり、その後どんどん移動距離が伸びていった。」〈( )は筆者による補足〉
本格的な移動は十代後半、居候先の名古屋から始まり、愛知県山奥で一夏中のキャンプ、それを「引きずったまま成行きまかせで」北海道、再び名古屋に戻り「一年間ハードでディープな夜の仕事をして貯めた金で半年ほどアジアを旅行。」帰国後、窯業専門の職業訓練所に通う中で「現在まで続く見るを巡る長い思考のループ」〈強調は筆者〉がスタート、地元三重県にもどり美術作品を制作し始める。初めての個展から五年後ロンドンへ留学、日本に戻り東京で結婚、離婚してポルトガルへ、しばらく滞在したあと横須賀で再婚。「逃避の代償行為」をくり返す日々から約二十五年ほど、手段や場所に加え社会的立場も入れ替わり立ち替わってきた。

あの手この手の逃走の果てにたどりついたのは「結局は日常という毎日の時間と景色のなかにみんな溶け込んで混ざってしまっている。」そしてその風景もまた「新たな日常の景色として取り込まれ目の前を流れていく」。「刺繍糸単独ベッドシーツ登山」は手縫いの運動を登山になぞらえ時間と空間の拡大や収縮のダイナミズムに身を投じる装置でもあった。言い換えればそのスィッチを発明しONすることで初めて目にする景色ーそれはまだ限定されたものだった。それに対し「対象に身体が反応し、その反応が形として蓄積される」べく描くという運動そのものは、風景を“見ている”自分もまたその風景の一部であり、その眺めは限りなく拡がっていくこととなる。「繰り返される日常のもつ強度」のなかで、無限に伸びていく時間と空間に身を置く術を知ったいま、井手に自転車やパスポートは不用のものとなったはずだ。本文の終わりを締めくくるのは、中学時代の同窓会へ向かう帰郷のエピソードで、積極的に「逃避の代償行為」繰り返す十代の自分と再開する往路の新幹線で呟く。「恐れることはなにもない。スピードは十分。富士山もクリア。『僕』はいない。」
この私小説風文章版『反復景色』は四十代の男が半生を振り返るといった感傷的でセンチメンタルな記述とも取れる。井手の美術作品に自画像的モチーフの出現がだんだん減り記号化されながら完全に消滅していく経緯とは裏腹に文章の中での井手は驚くほど生々しくウエットな存在として書き込まれる。しかしもちろん井手は小説家に転向したわけでも目指しているわけでもない。
そのことは今回の展示を見れば一目瞭然で、サブスペースの雑然とした作業場に何気に置かれているそれは、ビールケースを脚にしたパネルの台に白い四角の塊になっている。塊は白い極薄の紙がおよそ250枚重なったもので厚みが3㎝ほど。大きさはA1サイズ=新聞紙1枚分。紙全体に縦書き5段組の活字はパッと見、文章と認識しづらい。実際来客者のなかには気付かなかったり、説明を必要とするケースもあった。また気に入った方にはお持ち帰り頂いた。
とはいえドローイングで培った手法は文章にも応用され「何がかかれるではなく、目の前の言葉に反応し、結果まとまった言葉が蓄積されること。」が大事であり、井手の半生劇場を読み込んで行ってもその文章の中に「『僕』はいない。」

*4 原稿用紙400字詰原稿用紙約45枚分の文章

海に、空へ

本展のメインスペースは築六十年以上の平屋の一室で、昔ながらの木枠ガラスの引き戸が入り口になっている。靴を脱いで入ると展示スペースの床一面にベッドシーツ(1999年作)が敷かれ、床から天井に向かってグレーにペンキ塗りされた角材数本が林立している。それら全てを支柱に大・中・小の無加工の鉄板が各一枚ずつセットされている。黒い鉄板にはたくさんの穴が開けられ、白い紐が穴を繋いでいる。横長の鉄板上部には真横まっすぐに、下部に短い横線がたくさんあったり、何もなかったりする。
見る者は白い紐と黒い鉄板を物質として認識しながらも、「何かのイメージ」なるものを無意識に探してしまう。
鉄板は1.6㎜程の厚みで最大が60×75㎝、最小で14×20㎝(約A5サイズ)の定型サイズに近い横長であるため、どうしても絵画的解釈・欲求を満たさんがために図像やその意味を期待する。図像の元は逗子海岸から見た凪いだ海のドローイングで、上部の横線は水平線、その下にあったりなかったりする長短の線は海面から来ている。紙と鉛筆から鉄と紐に変換されたその図像は“見ること”とは何かを意識させる。紐と鉄板という物質に引っ掛かりを覚えながらも無意識に絵画的制約というフィルターを通して【見てしまう】怠慢を、不自由さ、を指摘する。西洋美術の流れを汲む美術的お約束ごとという幻想の膜を引き剥がし、美術とは表現とは何かを問う。鉄板の中の“水平線と凪”に【見える】図像はスペース全体にランダムに起立しているが、よく見ると全ての水平線は同じ高さに位置し、さらに視界を広げれば部屋の壁ぐるりにピンと張った紐の位置とも一致する。そして壁の紐をたどると入口の外へとのび、一室丸ごと紐で結ってあることに気付く。
改めて室内に目を移す。目につくのは頭上の天井板を取っ払ったために見える古く太い屋根の梁や支柱、床の間や押入れなどホワイトキューブにはない家屋丸出しの強い空間-タテ・ヨコで構成される日本建築の間。その中に立ち並ぶ鉄板作品はそうした建物の構造やそれらに沁み付いている“時間”に飲まれることなく、かといって安易に調和を許さず、作品と空間がギリギリのところで効果的に響いている。
1+1=2にならず、1+1が大きな1つの作品となり*5、見る者は作品のただ中に“在る”ことを知る。家屋、ひかり、風、匂い、音、そして見ている自分を含めた時間ーその全てが渾然と作品の一部になる。室内を巡る白い紐が水平線なのだとしたら、その向こうに見える景色はどんなだろうか。
続きは次回のDEAD ENDで。

*5 筆者最初の師坂本大漣の至言